音楽と踊りが体に染み付いている
キューバ音楽は、スペイン系とアフリカ系の音楽が融合して生まれたものをベースに、いろいろな要素が混じり合って生まれており、ラテン音楽の中枢的な存在となる。アメリカ合衆国のジャズなどとともに20世紀の大衆音楽に大きな影響を与えた。
Candela – Buena Vista Social Club
代表的なキューバ音楽は、スペインのギターとアフリカの太鼓を組み合わせたヨルバ系文化の影響が強いルンバやソンがある。その他、大衆音楽の中には、トローバやダンソンのようにヨーロッパ音楽の要素が比較的強く残っているものもある。
Bebo Valdés & Diego El Cigala.- Lágrimas Negras
19世紀にフランスのジョルジュ・ビゼーがハバネラのリズムを取り入れた時からキューバ音楽の世界への拡大は始まっていたが、キューバ音楽は、まず1930年にソンがアメリカで紹介され、1930年代以降、アメリカを中心に世界中に広まった。ただし、その際にソンが「ルンバ」として紹介されたため、元来のルンバと「ルンバ」と呼ばれるソン(現在でも社交ダンスで「ルンバ」と呼ばれるものは、このソンである)を区別する必要がある。
LA VIDA ES UN CARNAVAL / Au Music
1950年代には、マンボやチャチャチャが世界的に流行したが、1959年のキューバ革命後は、アメリカとの国交が途絶え、また、経済封鎖のためもあり、キューバ音楽が世界に広がる経路が狭まった。ただし、スペイン語圏諸国においては、影響を持ち続けた。この1970年代から80年代にかけては、革命後のキューバで若い世代のムーブメントとして起こったヌエバ・トローバが、ラテンアメリカにおいては、社会現象といえるほどの人気と影響力を得た。
Se Bota a Matar / Buena Fe
キューバの日常風景
なぜキューバには人種差別がないのか
私が以前アメリカの大学に通っていたときも、明らかな人種差別に遭遇することはありませんでした。しかしヨーロッパ系はヨーロッパ系、アフリカ系はアフリカ系、アジア系はアジア系と、学生の中でもなんとなくグループができていたのです。もちろん、人種を越えて友情を築くことは可能です。しかし街全体、州全体、と大きな枠で見てみると、ヨーロッパ系が多く住むエリア、アフリカ系コミュニティが暮らすエリアなど、人種別でかたまる傾向があるのは明白でした。
こうした経験から、私はどこかで「異なる人種が完全にわかり合うのはとても難しいことだ」と思い込んでいたのかもしれません。そのため異なる人種でありながら、お互いを全く同じように扱うキューバ人に大きな衝撃を受けたのです。
下記サイトの記事より引用